焼戻しとは
鋼の熱処理で、焼入れして硬化した鋼は、マルテンサイトと呼ばれる「硬くもろく割れやすい」組織の状態になっています。
それを、焼入れ後に再加熱して、硬さや組織を調節する操作を「焼戻し」といいます。
焼戻しは、焼入れの説明でも何回か説明していますが、焼入れとセットで考えて、焼入れ後に、引き続いて「焼戻し」を行います。
これは、構造用合金鋼SNCM447の熱処理による機械特性を示した図です。焼戻しによって、機械的性質の変化が示されています。
この図では、焼戻し温度をあげていくと、硬さ(HB)・引張強さ(TS)・耐力(YP)などの「強さ」が低下していき、逆に、絞り(RA)・伸び(EL)・シャルピー衝撃値(CH)などの「ねばさ」が高くなっていく傾向になります。
このように、通常、焼入れした品物を、「焼入れた状態のもの」をそのまま使うことはなく(※)、焼戻しを行って製品として使用されます。
この焼戻しのための再加熱によって、一般的には、「硬さが低下し、強靭性を付加して使用される」と説明されています。
PR※近年、鋭利な刃先の微小部分だけをレーザーや電子ビームなどで急速に加熱して、品物の熱伝導を利用して、加熱部分を冷却して焼入れ組織を得る方法で熱処理する方法があります。 それらの多くは、焼戻しをせずに製品として使用されているものもあります。
これについては、焼戻しをしないほうがいいということではなく、焼戻しをする難しさや、焼戻し時の曲がりや変形、表面の変質などがあると都合が悪いという理由で焼戻ししていないと考えるのですが、詳しい理由はわかりません。
次の焼戻し過程における変化で説明します。 200℃程度の低温での焼戻しを行うことで、硬さ(強さ)をほとんど低下させないで、組織変化によるじん性が増加するので、大きな負荷がかかる通常の工具や機械部品では、焼戻しが重要である・・・ということを説明していきます。
焼入れと焼戻しはセットで行います
工具などは、焼入れしたままの状態で使用するのは好ましくありません。
それは、焼入れした状態では、「硬い=もろい」という状態になっていますし、熱に対して不安定だからです。
このために、焼入れの状態で放置すると、内部応力が高い状態になっているので、変形や割れなどが起きることがあります。
このために、焼入れに続いて焼戻し作業をするのが一般的な熱処理方法です。
焼戻しについての説明する時には、通常、単一組織の変化を見ると理解しやすいので、多くの場合で炭素工具鋼の共析鋼(C%≒0.85)について説明されることが多いようですので、ここでも、 同様に説明しています。
共析鋼での説明は簡単でわかりやすいという理由ですが、亜共析鋼(たとえば、0.3%C鋼)では、焼入れ組織では、熱処理温度で変化しないフェライト部分があるし、過共析鋼では炭化物などの余分なものがあるためで、焼戻しに限らず、焼なまし、焼入れ、焼戻しの状態で全部が同じ組織になる共析鋼はわかりやすいという理由のためです。
また、焼き入れの説明部分で、「焼入時の冷却速度が遅い場合には、全部がマルテンサイトにならないでその他の組織になる」と説明していますが、一般的な品物では、質量効果などの影響で、焼入れ時でも、マルテンサイトとソルバイト、トルースタイトやベイナイト、残留オーステナイト、炭化物、その他など組織状態になる場合があって、それらを詳しく説明すると、内容が複雑になるので、できるだけ簡単に説明できるようにする狙いがあります。
しかし、熱処理を考えるためには、それらの事象を理解する必要があるのですが、ここでは基礎的説明のために、単純な組成のもので説明していきます。
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焼戻し時の温度に伴う変化
焼入れ直後の鋼は、焼入れ時の冷却速度の差や、それに伴って生成した組織も変わっているなどのために、組織の不均一さがあり、応力状態も不安定な状態となっているので、温度や外力によって、安定な状態になろうとしている状態といえます。
それを、安定な状態に移行するために行う加熱操作が「焼戻し」です。
一般には加熱する温度で、4つの過程に分けて説明されます。
第一過程 : 焼戻しマルテンサイトに変わる過程
第二過程 : 残留オーステナイトの分解が開始する過程
第三過程 : フェライトとセメンタイト混合組織が生成する過程
第四過程 : 工具鋼などで2次硬化が起こる温度以上の過程
第一過程: 焼戻しマルテンサイトに変わる過程
およそ200℃までの加熱によって、焼入れ状態のマルテンサイトが「焼戻しマルテンサイト」に変わる過程が第1過程です。
この「焼戻しマルテンサイト」と焼入れ状態のマルテンサイトはほとんど区別しにくいのですが、「マルテンサイト+ε」という組織だと記述をされていることがあります。
加熱することで、焼入れ状態のマルテンサイトが、低炭素のマルテンサイトに変化しており、この時、炭化物を析出しており(これをε炭化物と書いてある場合があります)、顕微鏡組織を見る時に、全体が、若干、腐食されやすくなっている程度の変化・・・という小さな変化で、この組織変化を電子顕微鏡などで観察しても、はっきりとした変化が見られません。
しかし、このときの変化によって、 焼入れ時の内部応力が若干緩和される・・・とも説明されますし、焼戻しによる機械的性質(例えば、引張強さ)の明らかな変化があります。
シャルピー値についても、一般的に言えることですが、約180℃以上の温度になると、機械的な特性としての「じん性・ねばさ」が急激に高くなります。
硬さの必要なものの焼戻しでは、温度の上昇につれて硬さの低下が大きいので、硬さとじん性のバランスを考えて焼戻し温度を決めます。
工具類や機械部品で、硬さが必要なために、150℃以下の温度で焼戻しで使用されるものもありますが、180℃以上で焼戻しすると焼戻しマルテンサイトに変化することで寿命が安定するということも記憶しておくといいでしょう。
第二過程: 残留オーステナイトの分解が開始する過程
200-300℃の焼戻し温度では、残留オーステナイトが分解し始めて 焼戻しマルテンサイトに変化する過程で、これを第2過程とされています。
炭素鋼ではないSKD11などの高合金の鋼種では、この温度域では残留オーステナイトが分解しないものもあります。 SKD11の場合は、この温度で焼き戻しすると、残留オーステナイトのショックアブソーバーの効果でシャルピー衝撃値が高い状態になり、通常はこの状態で焼戻しして使用します。この温度では、焼戻し第一過程の炭化物析出によるじん性回復と、残留オーステナイトの安定化の効果と考えられます。
第三過程: フェライトとセメンタイト混合組織が生成する過程
焼戻しマルテンサイトが250℃以上でフェライト(α鉄)とセメンタイトの混合組織に変化し、次第に軟らかくなっていく過程です。
ここでの組織は温度とともに変化していきますし、硬さも温度とともに低下します。
この過程では、温度が高くなるほど、フェライトとセメンタイト混合組織の層間距離が粗くなっていき、硬さも温度とともに低下します。
これは、0.8%Cの共析鋼を水焼入れ、焼戻しした組織です。(組織のイメージを持っていただくために、写真加工しています。詳細な観察条件などは不詳です)
ここでのパーライトとソルバイトは組成的には同じもので、フェライトとセメンタイト(炭化物)が層状になっている状態ですが、層間の距離の違いで、組織の見え方も変わっています。 その層間距離が増えるにつれて硬さが低下していきます。
焼入れの説明にあったトルースタイトとよばれる組織も同様の組成で、ソルバイトより微細なパーライト状の組織です。
それらのパーライト状の組織の温度による変化は、焼戻し温度を上げていったときに、いずれの状態の組織でも、層間距離が増して硬さが低下していき、加熱変態(Ac1)の直下まで温度が上がると、パーライト組織になっています。
加熱変態点以上では、オーステナイトに変化するので、これはもはや、焼戻しの温度範疇ではありませんし、加熱変態点直下の温度では、硬さが下がっている状態ですので、「低温焼なまし」処理のところでも説明が出てきます。
そして、鉄-炭素の共析鋼では、次の説明の第四過程は無関係です。
第四過程: 工具鋼などで2次硬化が起こる温度以上の過程
この過程は、工具鋼などの場合に生じる変化をいいます。
ダイス鋼などの高合金鋼を低い温度から徐々に温度を上げて焼戻しをすると、温度が高くなるにつれて硬さが低下している傾向だったのが、450-500℃付近で焼戻しすると、硬さが上昇する鋼種があります。 この硬さ上昇を 2次硬化 といいます。
これは、炭化物の析出によって硬化するものですから、工具鋼などの高合金鋼で起こるもので、構造用鋼など、炭素や低合金の鋼種では、この「第四過程」はありません。
(日立金属のカタログより)
SKS93(日立金属YCS3:1C-1Mn-0.4Cr鋼)、SKD11(日立金属SLD:1.5C-0.4Mn-12Cr-1Mo-V鋼)の焼戻し曲線です。SLDでは、500℃付近で硬さの上昇(2次硬さ)が見られます。
PR構造用鋼の「調質」や低合金鋼で500℃以上の焼戻しをするものも多いのですが、これは第三過程の状態と考えます。
これらについては、次のページ以降でも説明します。

焼戻しの回数について
構造用鋼は、焼戻しの第四過程がないので、500℃以上(望むべくは600℃以上)の焼戻しをする「調質」では、基本的には1回の焼戻し回数で問題ありません。
2次硬化をする工具鋼などの鋼種で、500℃以上の高温で焼き戻ししたものは、少なくとも、2回の焼戻しが必要です。
これは、1回目の焼戻し加熱後の冷却過程で、焼戻し加熱によって分解した残留オーステナイトがマルテンサイトやベーナイトに変態するためで、その変態組織を焼き戻すために、2回目の焼戻しが必要になります。
さてここで、「300℃以下の低温焼戻しの焼戻しは1回でよい」と主張される人もおられます。そして、実際に、それで熱処理をすませている例も多いようです。
しかし、それでよいのでしょうか?・・・ これについて、一般的な書籍では説明されていませんが、大切なことですので、次に説明します。
実際の熱処理作業は教科書通りでない場合がある
少し専門的ですし、今まで説明した焼入れの知識が必要になりますが、2次硬化をする鋼種を500℃以上の焼戻しをする場合は、絶対に2回以上の焼戻しが必要です。 これについては、次のページで説明しています。
ここでは、ダイス鋼などの高合金鋼を300℃以下の低温焼戻しをする場合でも、2回の焼戻しをすべき・・・という説明をします。
これは、教科書に書いている内容と違う・・・という人もいるでしょうが、実際の熱処理の方法を知れば、それが当然だと理解していただくでしょう。
高炭素高合金鋼の低温焼戻しは2回
少し専門的な内容ですが、高炭素鋼合金鋼では、通常1回でいい焼戻しが、2回の焼戻しを必要だという理由を説明していきます。
少し内容が難しいかもしれませんので、わかりにくかったら、パスしてください。
単純な形状の品物や、熱処理試験片のような小さな品物では、「低温焼戻しは1回」で問題はありませんし、0.5%程度以下の低合金鋼でも
問題は、少し大きな品物や複雑な型材などで、焼入れ冷却中は、表面と内部では「冷え方」が違うので、焼入れ変態(マルテンサイト変態)を始めてからの温度差が、変形や焼割れの原因になります。
その対策は、油冷や加圧冷却では、油からの引き上げを早めたり、風量を調節するなどで冷却速度を遅くして、各部の温度を均一化をするなどの対策をしますが、大きな変形や、焼割れが出ないように、室温まで冷却しないで、100℃~150℃程度で焼戻し作業に入るのが通例です。
これによって問題になるのが、①焼入れ状態での残留オーステナイト量 と、②マルテンサイト変態の完了温度=Mf点 です。
まず、0.5%以下の炭素量であれば①②は、あまり問題になりません。
高炭素の炭素工具鋼や低合金鋼を「最高硬さ」に焼入れする場合は、①の残留オーステナイト量は、SK105やSUJなどでは①は5~10%程度、②は100~150℃程度ですが、これも、そんなに問題ではありません。
問題は、焼入れ状態での残留オーステナイトが多く、Mf点が低い、8%Cr鋼やSKD11などの冷間ダイス鋼で、①は20~25%以上ですし、②については、少ないデータですが、0℃程度に温度を下げても、残留オーステナイトの量は変わらないことから、Mfは常温程度以下なので、100~150℃で焼戻しに移行すると、常温まで冷却する以上に残留オーステナイトが多い状態になっています。
それを、通常の低温焼戻し温度の180~200℃の焼戻しをして、常温まで冷却すると、ある程度の残留オーステナイトは安定化し、いくらかの残留オーステナイトは、マルテンサイトやベイナイトなどに変化して「硬化」します。
つまり、この焼入れ状態の部分を焼戻しする必要があるので、低温焼戻しであっても、高炭素鋼は2回の焼入れが必要と言うことです。
この考え方に異論を持つ方もいたのですが、私は、残留オーステナイトの安定化と焼戻しによる強さ上昇のために、低温焼戻しであっても、2回の焼戻しをずっと通してきましたし、それが標準熱処理でやってきました。
しかし、「2回は不要、熱処理価格を下げる」という要求をするお客さんもいました。ので、その方には、1回の焼戻しで出荷したのですが、たとえ、焼入れ冷却を常温までしても、25%も残留オーステナイトがあるのですから、少なくとも「安定化」のために、確実に焼戻ししたほうがいいと考えていますが、どうでしょうか。
PR最後に、焼入れ性を高める合金元素の少ない「構造用鋼」の調質(500℃以上の温度で焼戻しして、強靭性の高い構造用材料として使うための熱処理)の場合は、低炭素で残留オーステナイトは少なく、Mf点も250℃以上ですので、低温焼き戻して高い硬さにする場合でも、焼戻しは1回で問題ありません。
それらを図示すると、次のようなイメージです。
(注)上記の説明については、異論もあるのですが、ただ、常温まで完全に冷やさないのは、熱処理する側が焼割れなどでの損失の無いように、かつ、実際に品物を使用した結果で問題が起きないように・・・ということを考えて行う通常の焼入れ作業です。また、残留オーステナイトの安定化と焼戻しをしっかりすることは、製品にとってはいいはずです。しかし、価格の問題が加わると、変な方向の話になります。
熱処理費用面でも、1回で済ませることができれば経済的ですし、また、1回の焼戻しで問題ないとすれば、これを、大きな声で主張することもないのですが、少し大きな品物では1回の焼戻しで済ますのは気がひけるので、今後も検討の余地がある問題でしょう。
これとは違いますが、3度の焼戻しが必要だというメーカー指定の鋼種もあります。これについては、以降の記事で取り上げています。
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