標準熱処理とは何なのでしょうか?
工具鋼などでは、JISやカタログに「標準熱処理条件」が掲載されているので、通常はそれに基づいて熱処理します。
市販されている鋼種の多くは、成分的に得られる硬さや特性は、熱処理で決まってきますが、もっと高い硬さがほしい場合や、質量効果の影響を改善しようとすると、熱処理での調整範囲は限られるので、通常は、鋼種変更を考えなければなりません。
この場合は、前のページ(→こちら)で、プロテリアル(旧:日立金属)さんの考え方の図を紹介しましたが、平たくいえば、高価な材質に変える必要が出てくるのが通例です。
しかし、熱処理の基本を知っておれば、このような場合に遭遇しても、油焼き入れ鋼種を水焼き入れをしたり、低い焼入れ温度にするなどをやってみると、解決できる場合もありそうです。
つまり、標準的でない熱処理方法をとれば、かなり広範囲の要件が熱処理によってカバーできる可能性があるのですが、現在のJISやISOの考え方のもとでは、標準的とされる方法を用いることが基本ですので、通常はそのようなことはしてはいけない風潮になってきています。
つまり、標準化された方法で安定した製品を作り出すのがISOやJISの考え方であるためですが、本来の熱処理は「求める特性を得る方法・手段」ですので、標準化にこだわっていれば、標準以上の成果はなくなってしまう懸念を感じています。
熱処理する側(熱処理業者)も、標準化をして、それにそって作業しておれば、クレームが起きる危険性が少なくなることも確かですし、良い結果が得られなくても、理由が説明できますが、それで、熱処理の可能性を殺してしまうことも事実です。
標準熱処理と匠の仕事は根本的に違う
昭和年代の終り頃まで、熱処理現場には「熱処理の匠」が数人おられて、五感とストップウォッチで仕事をしている姿を見て、いろいろなことを教えていただきました。
もちろん。彼ら「匠」の言動が標準化されて、現在も生きているものもありますが、その頃は、今から考えると、すごい熱処理をしていたような気がします。
そして現在では、その多くの「匠のワザ」が消えてしまっています。
これは、彼らのやり方にて問題があったのではなくて、すべてアナログの世界でしたので、特殊技能が必要であったのですが、自動化された設備に変わったこともあって、誰でも簡単に習得できる、「標準化」に進まざるを得なかったのだと思っています。
しかし、「標準熱処理」として標準的なやり方が決められると、そこからはみ出ることは許されなくなってきました。
熱処理を知れば知るほど、その製品に適したベストな熱処理法と、標準化された熱処理とは同じにならないのを感じるのですが、新しいやり方を試して見ることも、できなくなりました。
例えば、冷却中にMs点にかからなければ焼割れしませんし、パーライトノーズにかからないように冷却すれば、大きな品物の硬さも確保できますから、変形しにくい品物では、空冷鋼であっても、水冷できます。 また、焼入れ操作によって、残留オーステナイトの量も、熱処理の考え方を知ればコントロールできるはずなのですが、熱処理現場の作業者も、研究や技術改良をする技術者も、そのような自由な考え方をしなくなり、また、それをできないようになって来ていますので、これは、標準化の弊害(逆効果)のように思います。(もちろん、見直しや改良の仕組みはありますが、大きなトラブルがない限り、変更されることは少なくなってしまいました)
特に工具鋼分野では、工具などの寿命が頭打ちになってきていますし、それに対応すべく、新鋼種を作って打開することもモズカシイ状況になってきていますので、革新が可能な熱処理で研究検討はやっていってほしいと思います。
新刊の書籍で、専門書が少ないことを見ても、大学などの研究も進んでいない感じがします。 このように、熱処理は重要なのですが、ローテク分野なので取り上げないという風潮も、大変困ったものです。
価格の高い新鋼種・新鋼材を使っても、画期的な寿命になりません。 寿命延長も頭打ちになってきていますから、作業効率を考えた熱処理の標準化だけを進めるのではなしに、製品の寿命延長を考えた熱処理の研究が、研究部門からでも、現場サイドからでも進んでほしいものです。
1つの例ですが、標準焼入れ温度が1000-1050℃の鋼種で、最高硬さで使うものでなければ、1000℃がいいのか、1050℃がいいのか・・・を検討してみるのもいいと思いますし、私の経験した例では、SKD11を980℃焼入れすることで、使用中の割れを防止することができた例がいくつかあります。(もちろん、標準的な組織ではなく、焼入温度不足と判定される組織ですが、寿命はそのほうがいいのです)
別の例では、「再焼入れしたせん断刃物で、事故を起こした例はない」のです。 焼戻しで硬さが下がりすぎて、仕方がなく、もう一度、焼入れし直すのが「最焼入れ」ですが、もちろん、再焼入れすることは好ましくありませんが、焼入焼戻し→焼なまし→再焼入焼戻し と、多くの熱履歴を減るのがいいのか悪いのかわかりませんが、長い仕事の経験で、これはなにかある・・・と思っています。
・・・というようなことを、現場から離れると結構気になります。タメグチがでてしまいます。
PR熱処理にはまだまだ可能性が残っている
最近の熱処理説明には書かれていない内容ですが、もう少し踏み込んで熱処理を考えたほうがいいなぁ・・・と思っていることをいくつか紹介します。
常識を疑う気持ちで熱処理を考える
熱処理を分かりにくくしているのは、質量効果(品物が大きくなると色々な影響を受けること)が悪さをします。
工具鋼でも、冷却速度の影響がでて、不完全焼入れになることもあります。 たとえ、焼入れ性の良い空気焼入れ鋼であっても、焼入れ時の冷却速度が遅いと、マルテンサイトではなく、 ベイナイト(Bainite)という組織などが生じます。
この組織が生じると、生じていない製品と同じ硬さに比べると、衝撃値が低下するとされています。
しかしまた、これとは反対に、割れなどを防ぐために、あえてベイナイトをださせるための 「ベイナイト処理」という言い方で焼入れの説明をされる熱処理方法がありますし、恒温変態を利用して、マルテンサイト以外の組織にする、オーステンパーなどの恒温熱処理などもあります。
これらについては、鋼種や硬さ範囲、品物の大きさなどの要素のほかに、ノウハウ的な秘密めいたものもあってよくわかっていないところもあるのですが、このあたりを研究すれば、何か違う性質のものができそうな気がしています。(気がしているだけで、何もできない現状ですが・・・)
残念ながら、今の状況では、新しい熱処理を研究されているかどうかわかりませんし、これらを極めていって、具体的な標準技術として解明される可能性はわかりませんが、大きな品物の焼入れでは、このような時間的に熱処理操作することは重要な問題なのです。
構造用鋼では、「水油(最初水冷し、途中で油冷する方法)」という冷却は、しばしばやっていましたし、硬さには関係なく、そんなに大きくないダイス鋼の品物では、油焼入れも常時やっています。 これは常識の範囲ですが、もっと違ったやり方をやって、その結果を見ると、いいか悪いかがわかるのですが、そのような冒険をしない風潮では、新しい熱処理法はでてきません。
PR消えていく熱処理用語も多い
その他の例ですが、昭和年代には、ハイス(高速度工具鋼)のアンダーハードニングという焼入れ方法がありました。
これは、ハイス(その当時はSKH9、今のSKH51)の標準焼入れ温度ではなくて、1030℃などの、極端な低温で焼入れることで、60HRCでシャルピーじん性値が高い状態になるというものでしたが、今では、ほとんど実施されることはありませんし、言葉自体もほとんど消えています。
その理由は、マトリックスハイスなどの、耐熱性に優れた高靱性高速度鋼が開発されたことで、耐熱要素が低下するアンダーハードニング法はすたってしまったようです。
耐熱特性に優れるのがハイスですので、この方法では、耐熱特性が得られないので、それを殺してしまうのはもったいないということで、マトリクスはイス(セミハイスともいわれます)が開発されたのですが、これによって、高価な鋼種は標準的な熱処理がいい・・・ということが定説になったのかもしれません。
しかし、焼入れ性の良い鋼種であっても、 空冷するよりも急冷してやったほうが特性がいい例や、先程書いたように、SKD11などを標準加熱温度から外れた1000℃以下で焼入れしてやると、1030℃で焼入れしたものよりも工具成績が良かった例を経験していますので、またまだ、熱処理には未知の部分があるような気がします。
PR構造用鋼では、有芯焼入れや臨界直径などの言葉も、使うことがなくなってきました。 これは、実際の品物が、熱処理試験片のように小さくないために、実情に合わない言葉なので、使うことがなくなってきているのでしょう。
このような例のように、パターン化された熱処理しかやらなくなってくると、熱処理の教科書自体も見直さないといけないのですが、すでに、そのような状況になってきています。
品物に求められる品質特性は、熱処理の仕方によって変えられる要素が残っているのですが、工具鋼分野では、高級鋼に変えることで済まそうとする傾向が強くなっています。
しかし、世の中に数え切れないほどの工具鋼の鋼種があっても、未だに、すべてに優れた鋼種がないとなれば、熱処理でそれを補うことも重要ですので、それを、頭のどこかに入れておいていただきたいと思っています。
私が勤務していた熱処理会社の第一鋼業もそうでしたが、近年は、ISOなどでの「標準化とその必要性」が謳われて、その方向に進んでいて、チャレンジ精神や実験をして確かめてみるなどができなくなってきています。現場の技術力が、低下していっている感じがします。
もちろん、試験をするのは大変ですし、確実に良い結果が出るとは限りませんから、リスク面を考えても、標準化は間違った方向ではないのですが、熱処理には未知の部分が多く、まだまだ性能アップの余地が潜んでいるということを忘れてはいけない・・・という例で紹介しました。
熱処理のシミュレーションが進まない理由は・・・
今日では、パソコンソフトなどを使って、FEM(有限要素法)などの方法を用いて、品物の加熱冷却など、いろいろな熱処理シミュレーションができるようになってきています。
私も、簡単なことをやっていたのですが、しかし、私の勤務時代は、机上検討に時間をかけてシミュレートするよりも、「焼いてみるほうが早い・・・」ということから、つい、熱処理テスト(実験)をして結果を出しがちでしたが、簡単にそれができない、大きな品物の熱処理検討には、パソコンでのシミュレーションは便利なものです。
このHPでも、大きな棒径の品物の冷却状態などで、私がシミュレーションした資料もあるのですが、まだまだ、現業の熱処理会社で簡単・短時間に使えるという状態ではなく、研究用の「机上の熱処理」という感じが拭えません。
そして、シミュレーションした結果が、明らかに(直感的に)実際の熱処理テストしたものと合致しない場合が多いので、私は、実際に測温したデーターに沿うように、パラメーターを変えて、実際に合わすなどで、お茶を濁していた状態で、まだまだうまく扱えていなかったのですが、若い人などが真剣に取り組めば、便利なものになっていくのは間違いありません。
まだまだ高価ですが、今後は、安価で、簡単に使用できるものが普及してくればいいと思うものの、現状では、熱移動計算などは問題ないにしても、市販鋼材の変態を含む熱変化については、研究者も少ないのでしょうか、私は、まだまだ・・・という感じがしています。
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最終確認R6.4月