工具鋼の焼戻し回数

【質問】

構造用鋼では1回の焼戻しで問題ないのに、なぜ工具鋼では2回以上の焼戻しが必要なのでしょうか。理由もあわせて教えてください。



【回答】

低合金鋼では、焼戻しはマルテンサイトという焼入れ組織が加熱温度とともに組織が変化しながら硬さが低下(機械的性質の変化)していきます。

この場合に、特殊な温度域(例えば、200℃以下の低温域や脆性温度など) でなければ、特殊な組織変化はしませんので、焼戻しは1回であっても問題はありません。 また、「調質」などは500℃以上で焼戻しされるので、残留オーステナイトが分解する温度以上になっていますので、1回の焼戻しでいいでしょう。

「2次硬化をしない鋼種」「焼入れ後に残留オーステナイトが多くない鋼種」「品物が極端に大きいか、肉厚が極端に不均一でないもの」については、基本的には1回の焼戻しで問題はありません。
つまり、焼戻しは、残留オーステナイトの安定化や分解、組織変化による硬さの変化や応力開放などと関係しているといえます。

2回以上の焼戻しが必要な場合は、

「残留オーステナイトの変化に対応する必要があるもの」
「熱処理操作上での対応のためやむを得ない熱処理をしたもの」
「残留応力を均一化したほうがいいと考える時」

・・・ などですが、通常では、工具に使用する工具鋼などは2回以上の焼戻しをするものと考えておいてください

その理由について、最初に、焼入れした未硬化部分の残留オーステナイトの問題があります。

SKD11などでは、完全に常温に冷却したとしても20%以上のオーステナイトが残留します。

さらに、実際的に当社の例ですが、通常の焼入れにおいては、「焼割れを防止するために、100℃以下で長時間放置してはいけない」という不文律あって、常温まで冷やすことはマレです。このために、未変態の残留オーステナイトはさらに多くなっているでしょう。

これが1回目の焼戻し後の冷却で、変態する可能性がありますので、これを放置しないで2回目の焼戻しが必要になります。


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つぎに、焼入れ冷却中の品物の各部の冷え方を見てみましょう。
次のグラフはシミュレーションソフトを利用して、焼入れ硬化しない材料を850℃からファンを用いて冷却したときのφ100とφ300の鋼材の表面と中心の温度を計算したものです。(荒っぽい条件で計算していますが)品物が大きくなると、冷却中の品物内外の温度差は広がっていく様子を示しています。

冷却曲線の例 左図の詳細

右の詳細図は、100℃を切った時の品物内外の温度差を示していますが、品物が大きくなるとはっきりと温度差(冷却時間差)が出ているのがわかります。

すなわち、冷却中のマルテンサイト変態にかかっている状態の温度域では、鋼は非常に不安定な状態で、品物各部で不均一にマルテンサイト化(焼入れ硬化)が進行している状態ですが、実作業では、焼割れや変形防止のために、通常の工程では、焼入れ時に常温まで冷却しないで焼戻し工程に移行することがたびたびあります。

そうすると、さらに残留オーステナイトが多い状態になっていますので、300℃以下の低温焼戻しであっても、残留オーステナイトを安定化するために、必ず2回の焼戻しが必要といえます。

冷間ダイス鋼(SKD11など)は、硬い硬さを必要とする場合では200℃程度の低温焼戻しをしますが、2次硬化をする鋼種(500℃以上の焼戻しで、硬さが上昇する高合金鋼・高速度鋼など)は、1回目の焼戻しの際に組織変化が生じます。およそ400℃以上で焼入れ時に残留したオーステナイトが分解を開始し、約450℃以上で共析炭化物の凝集が起こる・・・などのために、高温焼戻しをする鋼種では必ず2回以上の焼戻しが必要になります。

余談ですが、熱間工具鋼などの、必ず500℃以上の高温焼戻しをする鋼種については、カタログやデータシートには2回焼戻しした硬さが表示されていますが、それに対して、低温焼戻しのデータは1回焼戻しのデータです。これは、小さな試験片では焼入れ後は常温まで冷却されているため、2回焼戻ししても硬さや組織の変化がないためだといえます。

通常の熱処理作業においての焼割れや変形防止のために、常温まで冷却しないで焼戻しする・・・などの内容は書籍等にもないので、実際に熱処理に従事していないとこれを理解するのは難しいでしょう。

「1回の焼戻しでいい」と主張して、持論の熱処理知識でこじつけた話をする人もいますが、小さな試験片の熱処理は別にして、どちらが理にかなっているのかを理解する必要があります。また、たとえ完全に残留オーステナイトが分解する温度(約560℃)以上であっても、「1回の焼戻しでいいという事は無い」と考えるべきです。

焼入れ冷却中に鋼が硬化し始める温度をMs点、硬化が完了する温度をMf点と言いますが、高合金工具鋼ではそれらは低くなっています。Ms点については、カーボン(C)、マンガン(Mn)、ニッケル(Ni)などのMs点を下げる元素の含有量の影響が大きいのですが、たとえば、冷間金型などし使用するSKD11ではMs点は200℃以下で、マルテンサイト変態が終了するMf点は常温程度とされています。

このために、夏季などで室温が50℃近くなる作業場では、充分な硬さが出ない場合もあり、低温焼戻しで硬さが必要な場合は、特別な配慮が必要になるなど、鋼種、大きさ、作業環境などを考慮して熱処理をしなければなりません。

残留オーステナイトは時間とともに分解したり(時効変形)、強い負荷や変形を受けると分解します(加工誘起マルテンサイト)。それを無くする(残留オーステナイトの消失)か、その影響を少なくする(残留オーステナイトの安定化)ためには、しっかりと焼戻しをすることが必要です。、

しっかり焼戻しをしても、問題が残ります。品物が大きかったり、肉厚の差が大きい品物も注意が必要です。「硬さ=応力」といえますが、大きな品物や偏肉のあるものは、偏応力が危険です。

当社では、2回の焼戻しが標準作業になっていますので、少なくとも、不用意に焼戻し回数を減らしたり時間を短縮することは問題があると考えておいていいでしょう。

次に、高合金鋼では「焼戻しを3回」と言われる場合について説明します。
これについても、いろいろな理由で説明されているようですが、「使った結果で」「衝撃値などの機械試験の結果で」「残留オーステナイトが・・・云々・・・」などの理由で推奨されているようです。

実例としては、高速度鋼などで比較的焼入れ性の良くない高合金鋼や、コバルト含有量の多い鋼種などで3回の焼戻しを推奨される場合が多いようです。

しかし、小さな試験片では衝撃値の違いなどは見つからないようですので、やはり、上に挙げた鋼種の焼入れ性、焼き入れ冷却速度、熱処理作業上の理由などによる問題と言えそうな感じがします。

つまり、通常は表面硬さしか測定できないので、よくわからないのですが、鋼種によって硬さや組織の差がないということは考えられませんので、あえて2回の焼戻しでOKとすることにこだわることもないと思います。ただし、3回の焼戻しをすれば費用や納期がかかります。

さらに余談ですが、硬さ=強さですので、硬さ値は絶対大切です。それを基に焼き戻しすればいいのですが、焼戻し温度について、「最終焼戻し温度はその前の温度より低くなければならない」という考え方を主張している方がおられます。それらの内容は正しい考え方のように聞こえますが、検証されて定説になるまでに至っていません。

当社は熱処理の委託加工をしているので、お客様が指定されればそれに従いますが、費用がかかるのであればその負担をいただければ、できる限りそれに従って熱処理するというスタンスです。

これらもそうですが、熱処理分野では、いろいろわからないことがあります。しかし近年は、熱処理分野は「ローテク」の範疇になっているようで、熱処理研究は滞っている感があります。まだまだ熱処理による品質向上策は隠れているように思います。

ともあれ、ここで言えることは焼戻し回数は多くなることによって特性が劣化することはないと考えています。

焼戻し回数が増えると、費用も納期も掛かります。品質を考えるか納期や価格を重視するかどうかは別にして、工具鋼(SKSクラスであっても)や大きな品物は最低2回の焼戻しが必要と考えればいいのですが、ここでは、小さな試験片での標準熱処理と、実情の熱処理作業とは異なっていることをすこしでも知っていただけたら・・・考えて説明しました。


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