構造用鋼の焼戻し
ここでは、焼戻しの基本となる焼戻し温度によって機械的性質が変化する様子を説明します。
焼戻しは「焼入れ」の影響が反映されます。特に、品物の大きさによる影響(質量効果)で、結果が変化することを理解することが必要でしょう。
この図は、大同特殊鋼のハンドブックから引用したS40C(φ14とφ25)とSCM435の焼戻し温度と機械的性質について示したものです。



小さな図を拡大しているので見にくくなっていますが、S40Cでは、棒径が14mmと25mmの試験片の比較すると、棒径が大きくなると硬さが出にくくなっていることがわかります。
Uカーブ
この図は、径の違う鋼種を焼き入れしてその断面硬さを測定した「Uカーブ」と呼ばれる図です。
構造用鋼などの焼入れ性のあまり高くない鋼は、焼入れするときの棒径が大きくなると、焼入れ時の硬さは下がってきます。
そして、14と25mmの比較図のように、それに伴って、引張強さや降伏点が低下しており、じん性を表す伸び、絞り、衝撃値も低下しています。

これは、「完全にマルテンサイトになるような焼入れをするほうが機械特性に優れる・・・」と言われる理由ですが、鋼材の成分からみると、そのような状態にするのは難しいので、これは、説明上言えることであって、実際にそのような理想的な焼入れ状態はほとんど不可能だと考えておいていいでしょう。
そのために、例えばS40Cを使用している場合には、そこに焼入れ性を上げるクロムやモリブデンが加えた強靭鋼が利用することになります。そして、それでも硬化することに対して限界がある場合には、構造用鋼レベルの鋼種ではなく、工具鋼などの鋼種が必要になります。
調質
構造用鋼は、名前のとおりに、強さ(例えば引張強さ)とともに強靭性が要求されるところに用いられる鋼種です。
つまり、高い硬さで使う目的ではありませんし、品物全体(表面と内部)の硬さの差が少なくなるように熱処理する必要があります。
そして、強い強度が必要な場合は、中心部の硬さが高い鋼種を選択することになります。
ここで余談ですが、全体焼入れでは高い表面硬さが得られないS40Cの50mm径の棒鋼であっても、高周波焼入れすると60HRC程度の表面硬さが得られます。
これは加熱部分が表面だけで、焼入れ時には数mm径の丸棒鋼のように急速に冷却されるので十分硬化するのです。
もちろん、S40Cは0.4%の炭素量ですので、数mm径の小さな品物であれば、水焼入れで60HRC近い表面硬さが出ます。
しかし、焼入れ性が低いために、少し品物が大きくなると 硬さがばらつき、表面硬さも出なくなります。(これを質量効果による硬さ低下という言い方をします)
S40CにクロムとモリブデンがはいったSCM435は、焼入れ性がかなり向上して、水焼入れしなくて良い「油焼入れ鋼」ですが、焼入れ性が良くなっていることで、S40C以上の高い機械的性質があることが示されています。
少し焼入れ性のいいSCM435は0.35%の炭素量で、小さな品物では油焼入れによって、55HRC程度の表面硬さが得られます。
しかし、この鋼種でも、少し形状が大きくなると、表面硬さの低下や硬さのばらつきが増加します。(下図を参照)
構造用鋼の多くは、高い焼入れ硬さで用いるというより、適当な強さとねばさのある状態で使用するのが一般的です。このために、500℃以上の比較的高い温度で焼戻しして、硬さの均一性が増した状態で使用されることが主流になります。
この「焼入焼戻し」は、「調質」と呼ばれます。
このこともあって、構造用鋼の場合には、断面硬さの均一性が求められるために、JIS等では、上の図のように400℃以下の温度の状態は省略されている図表がほとんどであるのは、このためです。
構造用鋼をできるだけ高い硬さで使いたい場合もあるのですが、低温の焼戻しにおけるデーターはあまり見かけることはありません。
これは、焼入れ性が低く、質量効果を受けるので表面と内部の硬さが均一でないために比較しにくいことがその理由ですが、以下の図や、こちらにあるようなジョミニ焼入れ性試験などのデータ―などを参考にすると焼戻し温度と硬さの傾向がつかめます。
SCM435の質量効果を表す図表(JISハンドブック1979年版より)
軽負荷の軸製品などでは高周波焼入れによって表面硬さを高めて耐摩耗性を高めるというやり方の製品も多いようですので、全体焼入れだけではなく、表面熱処理など、用途に応じた熱処理を考えることも大切です。
工具鋼の焼戻し
工具鋼の熱処理で重要な図表は、焼戻し温度と硬さの関係を示す「熱処理曲線」と呼ばれる図です。
基本的には、これに基づいて焼入れ温度や焼戻し温度を決めます。
通常は、製造メーカーが鋼種ごとにこの熱処理曲線(温度-硬さ特性)を公表しています。ここには何点かの決まりごとがあります。それらを説明します。

これは、高合金工具鋼SKD11の、焼入れ温度を変えた時の焼戻し温度と硬さの関係を示しています。
この図表は、日本鉄鋼協会編の鋼の熱処理から引用した図ですが、市販されている鋼材のほとんどは「SKD11」という「JIS鋼種名」ではなく、 メーカー名で市販されています。
例えば、日立金属SLD 大同特殊鋼DC11のように、固有名で販売されていて、各社それぞれが、 自社でテストした結果を公表しています。
ただ、これらはいずれも、小さな試験片を用いた結果のものです。
そして、例えば、日立金属の場合には、低温焼戻しは1回の焼戻し結果、高温焼戻しは、同じ温度で2回焼戻しした硬さが示されています。
効率よく試験をするための工夫などをして、これらの図は作成されますので、この通りに熱処理すると、この図の通りの結果が得られるというものではないことに注意します。
それもあって、図表は、温度による傾向を示したものと考えて、これらの熱処理図表を見ていく必要があります。
当社では、初品(初めて熱処理する品物)であれば、標準の熱処理条件で焼入れして、焼入れ硬さ(焼入れ冷却後または、180℃程度の低温で焼戻し後)を測定して、このグラフとの違いを見て次の焼戻し温度を決めるという作業をすることもあります。
焼入れ性の良い工具鋼でも、大きさの影響(質量効果)やメーカー差、成分差・・・などは若干出てくるので、安全を見越してこのような手間をかけます。
もしも、焼戻しして目標硬さより硬さが下がってしまうと不具合になりますので、ともかく、そうならないように、低めの温度で焼戻しして、繰り返して焼戻しするという方法を取らざるを得ないこともでてきます。

一般的な工具鋼の場合には、このような焼入れ温度を示す多重線ではなく、「標準焼入れ温度(推奨焼入れ温度)」だけの図が示されるものが多いようです。
だから、このような焼戻しに関係する図を見る場合では、 焼入れ条件や試験条件について意識しておく必要があります。
実際の品物と、これらのテストピースによるものとの違いを理解するのは難しいですが、ここでは、できるだけ実際の品物との差異を考えられるように一般の書籍にはない内容も含めて取り上げて説明しています。
以下に、構造用鋼と工具鋼の例をあげて説明します。
焼戻しに関係することがら
焼戻しパラメータ
焼戻し後の硬さは、温度と時間の関数として決まるとされています。
焼戻しは拡散現象であるという考え方から、それを「焼戻しパラメータ」として示される場合ばあります。
下左図はSKD61の類似鋼の例で、P=T(C+log t)/1000 [ここで T=焼入れ温度(ケルビン) t=保持時間 C=定数] という計算式との関係で硬さがプロットされたものです。
また、M=(T+273)((21.3-5.8×C%)+logt) は、構造用鋼の場合のパラメータの一例ですが、これも、「硬さは 温度tと時間Tの関数」と表現されています。
熱処理で焼入れ温度を決める際には、上記でも示したように、メーカーなどで、焼戻し温度と硬さを示した「焼戻し硬さ曲線」が作成されていますので、それを使うのが一般的です。
このパラメータを実作業に使うことは少ないですが、焼戻し硬さを決める場合に、①温度をあげて硬さを下げるか、②時間を延ばして硬さを下げるか・・・ という方法によって焼戻し硬さが決まるという考え方は、実作業では経験的に行われていることですので、それを数値化したものといえるかもしれません。
時間は対数ですので、温度のように焼戻し硬さへの影響は少ないので、熱処理の短時間化には温度を変えるほうが手っ取り早いと言えます。
しかし、大きな品物を高温焼戻しをする場合には、 温度を低くして品物内外の温度の影響を少なくして焼戻しすることで、硬さむらを低減させる場合も出てきますので、その場合の「温度-時間」の決定に焼戻しパラメータの考え方が利用できます。
また、ソルトバスなどで部分焼戻しをして、一部の硬さを下げたい場合に、例えば、200℃で焼き戻しするところを350℃で短時間に焼き戻すことで本体への硬さ低下の影響を避けるなどの特殊なケースもあります。その時はこれを利用して「温度-時間」を決定します。
焼戻しパラメータによると、例えば、S45Cを550℃×3Hrで焼戻ししたものと同じ硬さにするために540℃で焼戻しすると、
(550+273)((21.3-5.8×0.45)+log3=(540+273)((21.3-5.8×0.45)+logX で、これからXを計算すると、5.16Hrになり、 温度を下げて時間を長くする方法で同じ硬さになるということがわかります。
10℃焼戻し温度を下げると時間は対数で効いてきますので、2倍近い焼戻し時間が必要になるということがパラメータから読めます。
この式では、炭素量の影響なども検討できるのですが、この目的では使ったことはありませんが、他の使い方も考えるといいでしょう。

この図は日立金属(株)さんのカタログにある資料です。
ここでは、時間と温度の要素について考えやすいように、各鋼種についての時間、温度、硬さの関係が示されていて、高温焼戻しをした時の軟化のしやすさ(軟化抵抗)が比較できるようなグラフです。
鋼種や大きさなどが違えば、いろいろな焼戻しに及ぼす影響があるので、焼戻しパラメーターは一つの考え方として記憶しておくといいでしょう。
次は、焼戻し時の状況と問題点について順に追っていきます。
焼戻しの保持時間
【昇温の過程】
品物を加熱すると、表面から熱が伝わっていきます。
周囲(雰囲気)温度が一定の温度であれば、次第に時間の経過とともに内部まで均一な温度になって行きますが、昇温の過程では、内部の温度が表面より遅れて昇温します。
この昇温過程では、各部の温度の不均一は熱膨張によって応力変化を与えますので、その間に焼戻しによる組織変化などを生じる温度にまたがると、 変態等による応力不均衡は助長されますので、注意しなければなりません。
急激な温度上昇は変形を生じさせたり、極端な場合は割れてしまうなどの原因になります。
【焼戻し中の割れ】
焼戻しで生じた割れも「焼割れ」と表現されることがあります。
この焼戻し中の割れを避けるためには、急激な温度変化は避ける方がよく、このために、大きな品物では、焼戻しにおいても段階的に加熱をしたほうがよい場合があります。この段階的な加熱も、焼入れ加熱と同様に「予熱」と表現します。
品物を加熱するときの温度上昇は、雰囲気からの対流による昇温よりも鋼内を伝導で伝わるほうが速いこともあって、実際的には残留オーステナイトが変化しない200℃程度以下の温度においては、 (単純形状のものに対しては) ほとんど焼戻しの加熱速度は考慮しなくてもいいのですが、断面形状が複雑かつアンバランスな品物で、 500℃以上の高温に焼戻しする工具類などにおいては、焼戻し時の割れの危険を避けるためにも段階加熱をするなどの配慮が必要といえます。
【焼戻しの保持時間とは】
焼入れの場合と同じように、焼戻しの保持時間とは、品物の温度が目的の温度に達して、全体が均一になったとされてからその温度に保持している時間をいい、それまでの加熱時間を「昇温時間」といいます。(これは、「焼入れ」の場合も同様の表現の仕方です)
昇温時間は、加熱設備の熱容量、雰囲気、目的温度などで異なりますし、温度測定の方法によっても異なりますので、 通常は実際温度を測定しておくなどでそれを把握しておき、標準化して作業をするようにしています。
ただ、焼戻しの適正時間は焼入れ保持時間とは異なり、長時間になることで極端に性能(硬さはもちろん、じん性や耐摩耗性への影響)が劣化するということはあって、ほとんどないといっていいでしょう。
長時間化すると硬さ低下が懸念されますが、焼戻しパラメータで説明したように、温度の影響ほど時間の効果は大きくないので、工具鋼で500℃以上の高温焼戻しをする場合に、逆にそれを利用して微妙な硬さ調整をすることもあります。
もしも逆に、焼戻し時間が短すぎると、表面と内部の温度差から、硬さの均一性が損なわれる恐れがありますので、目的温度や品物の厚さ、形状によって標準を決めて作業をするのが良いでしょう。
当社では小さなものでも最低1時間以上の保持時間をとるようにしていることや、合金工具鋼は必ず2回以上の焼戻しをするなどを標準にしています。
残留オーステナイトを気にかける
合金鋼(特にダイス鋼などの高合金鋼)では、焼入れして常温近くになった鋼の多くには、未変態の残留オーステナイトが存在しています。
たとえば、SKD11は、マルテンサイト変態が終了する温度(これをMf点と言います)が30℃付近の常温域にあるので、通常の焼入れで常温まで冷やしたとしても、SKD11では、20%以上の残留オーステナイトがある状態になっています。
さらに、通常の熱処理における焼入れ作業では、焼割れ防止のため常温まで冷却せずに焼戻し作業に入りますので、公表されている試験データよりも残留オーステナイト量は多くなっています。
本来、この残留オーステナイトは不安定なもので、それに加えて、少し大きな品物になると、焼入れ直後の鋼の状態はマルテンサイト以外の組織が混在して、全体的に不安定なものとなっています。このことから、ともかく、変形や焼き割れを防ぐためにも、 速やかに焼戻し処理に移行するのが無難といえます。
このように、品物の変態が完了していない焼入れ状態のままで焼戻しに入ると、焼入れ時の変態(焼入れ過程)は中断されます。そして、焼戻しの過程で組織変化が加わりますので、残留オーステナイトが多いのは好ましいことではない場合が多いのです。
構造用鋼の調質のように、合金量が少ない鋼種を500℃以上の温度で焼戻しすると、上記で説明した「焼戻しの第3過程」が経過して安定な状態になるので、1回の焼戻しでも問題ありません。
しかし、工具に使用する合金鋼では、残留オーステナイトという不安定組織がかなりの量として混在していて、それが、1回目の焼戻し後の冷却時に残留オーステナイトが変態する可能性があります。
このことから、残留オーステナイトが分解しない200℃程度の低温の焼戻しでも、 残留オーステナイトを安定化させるために、必ず最低2回の焼戻しが必要と考えています。 (高温焼戻しをする場合も同様で、必ず、最低2回の焼戻しが必須です)
残留オーステナイトは、焼戻し時におよそ400℃以上になると、それが冷却される際に、オーステナイトがマルテンサイトやベイナイトなどに変化します。(ただし、鋼種、成分によってその変化は異なります)
それを2回目の焼戻しをすることによって、焼戻し時に変化したマルテンサイト組織などを焼戻しして、全体を安定な状態にする・・・というのが無難な考え方でしょう。
当然、2回目の焼戻し温度は、硬さを下げる必要のある場合は高い焼戻し温度になります。しかし、(鋼種によるのですが) 目的温度が残留オーステナイトの変化に関係する250℃以上の温度であればそれが分解するために1回目より高い温度にすることは良くない・・・ といえるかもしれません。
ただ、この考え方に対しての是非や衝撃値などの関係については専門家の間でも諸説、諸データがあります。いろいろな要素も関係するので、ここでは、あまり深入しないでおきます。
3回の焼戻しの必要性
構造用鋼の調質は1回の焼戻しで問題ありません。
工具鋼の場合でも、多くは2回の焼戻しで問題ありません。しかし、非常に大きい品物やCoなどが多い鋼種では、3回の焼戻しをしたほうが良いとされます。
550℃程度以上の焼戻し温度になると、通常、残留オーステナイトがほぼ完全に分解します。そして、その(1回目の)焼戻し後の冷却時に、残留オーステナイトはマルテンサイトやベイナイトに変化しますので、2回目の焼戻しが必要になるのですが、Co量の多い鋼種などでは、この温度では炭化物の析出が完全でないために、3回目の焼戻しが必要と説明されています。
その他の例では、品物が大きい場合には、中心と表面などで昇温状態が異なり、応力的な不均衡が懸念されますので、このような場合にも、3回目の焼戻しをしたほうがいいとされます。
また、当初から3回の焼戻しを、メーカーが指示する鋼種もあります。
その他、実際の例では、コバルトCoやタングステンWなどの合金を多く含む鋼種の大型品では、3回の焼戻しをすることで型寿命が伸びたり、 じん性値が高くなるというデータが報告されています。
しかし、小さな試験片を用いて、じん性試験などで、3回焼戻しをした場合の優位性を調べたところ、その効果は明確ではありませんでしたので、これらの理由や説明は確実ではないかもしれませんが、できるだけ冒険は避けるのが賢明でしょう。
結論としては、3回の焼戻しすることの優位性は、単純な温度・時間だけの熱処理理論では考えにくいのですが、焼入れ自体が内部応力を発生させる処理ですので、品物の質量が関係しているとなると、やらないよりやったほうがいいということでしょう。
ほとんどの品物では3回の焼戻しは費用が加わるので通常は行われません。3回の焼戻しを求めると、加工賃を別に請求されることもあるかもしれません。
サブゼロ処理・クライオ処理・深冷処理
これらは、いずれも0℃以下に冷却する処理を言います。
一般的には、焼入れのあとに引き続いて0℃以下の低温槽に入れて冷却します。
これによって残留オーステナイトがマルテンサイトなどに変わり ①硬さの上昇 ②精密部品などの時効変形(時間がたつにしたがって、 寸法や形状が変化する現象)の低減 などに効果があります。
鉄鋼の熱処理では、この処理だけを単独に行うことはほとんどなく、通常は、焼入れ焼戻しに付随する処理として行います。
一般的には、品物を冷やすためには、液化炭酸ガスやドライアイスを用いて-75℃程度の温度に品物を冷却することが多いのですが、-100℃以下の温度でのサブゼロ処理を「クライオ処理」または「超サブゼロ処理」と言って区別される場合もあります。
これには比較的安価な液化窒素ガス (-180℃程度まで)を用いる場合が多いようですが、安価といっても、通常の焼入れとは別に費用が掛かってしまいます。
この費用の面もあって、一般品に対しては、ほとんど行われていないのが実情で、ガスなどの冷却材を含めた熱処理費用が高価なので、これらの処理は、特殊な熱処理の部類と言っていいでしょう。

残留オーステナイトをマルテンサイトに変態させるためのサブゼロ処理は、焼入れ直後に実施するのが効果的で、焼入れ後にいったん温度を上昇させたり、焼戻し後からサブゼロ処理を開始するまでの時間が長くなると、残留オーステナイトが安定になって、変態しにくくなります。このような状態になることを「オーステナイトの安定化」と言います。
【サブゼロ装置】
品物を冷却するためのこれらの装置は、低温ガスの場合は専用の冷却槽を用いますが、大きな品物では、簡易的に木枠や発泡スチロールで囲って、 ドライアイスを用いて冷却します。
この時に、均一に冷却するために、アルコールなどの不凍の液体を併用する場合があります。
アルコールは危険物ですので、取り扱いに注意し、引火・発火をしないように対策しておかなければなりません。
【冷やしバメ】
この冷却操作は、「冷やし嵌め(ひやしばめ)」などにも利用できます。
冷やしバメとは、内径側に来る品物を冷却して外輪などをはめ込むことですが、異材質を一体化することで、内径側の品物に圧縮応力を与えて破損しにくくすることが出来ます。
焼嵌めしろ(しめしろ)は、線膨張率と温度差から計算できるのですが、冷やしバメでは100℃程度の温度差の利用ですが、焼バメの場合は、高温焼戻しをした製品では十分な温度幅があるので、当社では、「しめしろ」を多くして強度を増すために、冷やしばめよりも「焼ばめ」を多用しています。
もう一つの理由に、冷やしバメでは、作業中の「霜付き」が、さびの原因になることを嫌っているところもあります。
冷やしバメは内側にくる製品を冷やして収縮させますが、「焼バメ」の場合は、外形側の品物を加熱して膨張させることになります。
【サブゼロ冷却における注意点】
冷却中に変態が進行しますので、割れや変形の可能性がありますし、低温脆性に注意しなければなりません。
冷却速度が速すぎると、応力変化に対応できないで割れが生じる懸念があります。また、鋼が低温になるとほとんどの鋼種では、低温脆性という現象があり、鋼がもろくなります。
さらに、常温に戻る際に結露します。あらかじめ、これらについて考えておく必要があります。
【その他の効果???】
WEBには、オーディオや電子部品において「クライオ処理」をすると、音質や電気的特性が良くなる・・・という記事を目にします。
さらに、海外(アメリカ)では、古くから、クライオ処理のテクニックを含めて、特殊な工程で行えば、飛躍的に工具類の寿命が延びるという内容の成果が紹介されて特許もあるようです。
これについても、当社でも実験して確認したのですが、そのときには、その効果を特定することはできませんでした。
これらについては、よくわかっていませんが、高価な深冷処理品(サーモ・オ・ボンドという処理をしたUSA製の品物)のペーパーカッターと、当社で各種のサブゼロ処理をした品物を実機でテストしたところ、両方ですごい寿命の品物が出る場合がありました。理由はよくわかりませんでした。
その他の例として、SUS304などの準安定系のオーステナイト系ステンレス鋼を極低温に長時間保持すると、マルテンサイトに変態するという事実があります。
このように、クライオ処理などの極低温処理は未知なところもあるので、研究すると面白い「熱処理で残された領域」と言えるかもしれません。
上にあげたクライオ処理による耐摩耗増大例や音質などの効果は、現在は学術的には否定的ですし、多くの試験例でも、飛躍的な効果も見られないという結果がほとんどのようですが、「何もない」と言って片付けるのは惜しい感じがしています。
現状の工具の寿命向上対策で言えば、材料的にも、抜群に優れる鋼種はありませんし、熱処理でも、特殊な寿命増大の処理方法は見つかっていません。何か打破することをやってみるのは面白いと思うのですが・・・。(閑話休題)
低温脆性(ていおんぜいせい)
一般的に、鋼は、低温になるともろくなります。 この性質を、低温脆性(ていおんぜいせい)といいます。
この測定や評価方法は様々ですが、シャルピー衝撃値の変化やその時の破面の状態を見るのが比較的簡単です。
この図は、0.2%Cの軟鋼におけるシャルピー試験温度とEの衝撃値の値、φが脆性破面率などが示されていますが、衝撃試験をする温度(試験片の温度)を下げていくと、
衝撃値が低くなっていき、脆性破面率が上がっていきます。つまり、破面が延性破面から脆性破面に変わっていって、脆くなります。
(この項の図は、すべて、鉄鋼の熱処理・日本鉄鋼協会編より引用)
その指標として遷移温度(せんいおんど)が用いられます。
ここで言えば、脆性破面率が50%になる温度や衝撃値が1/2になる温度で定義していますが、 この温度が低いほうが低温に強いということになります。
この図は、 遷移温度に影響する合金元素とその割合を示してものですが、リンP、炭素Cなどはそれを上げるので悪影響があり、マンガンMn、ニッケルNiなどは、
それを下げるのでいいということで、低温容器に用いられるステンレス鋼などでは、それらを含めて成分などの影響が重要になります。
しかし、硬さや強度が必要な工具鋼などでは、C量が高いので、低温になれば衝撃値が低下するという影響は避けられません。さらに、残念ながら、工具鋼などの、 一般的に使用される鋼についての低温脆性に関連するデータはほとんどありません。
当社にも低温脆性に関する試験数値がほとんどありませんが、0.55%Cの耐衝撃工具鋼系の鋼種を25℃程度と-20℃でシャルピー値を比較試験したところ、 シャルピー値が1/5以下に低下しているのを確認したことがあります。
上の0.2%鋼の例でも、40℃程度から脆化が始まっていますので、多かれ少なかれ、 使用する環境温度が低下すれば、じん性値が低下すると思っていて間違いないでしょう。
建築用の鋼材などは、炭素量が0.1%以下で、その他の合金成分から見ても、国内の気温で影響を受けることはないと思いますが、通常の工具や金型、 金型部品などでは、炭素量が0.4%以上の鋼が使われることが多いので、ほとんどが0℃などの低温になってくると、若干でも影響があると考えておく必要があります。
低温に対する対応鋼種を考える場合は、上記の合金量から比較推定するか、または、工具鋼などで衝撃試験をする場合には、25℃程度の「常温」での試験が基準になっていますので、 常温での衝撃値が高いほうが低温には強い・・・と考えて材料等を決めることになります。
しかし、低温で使用しなければいけない場合には、温度につれてじん性値が低下していきますので、危険防止を考えるうえでは、事前に確認試験をしておくのがいいでしょう。
日本国内では、冬季には0℃以下の低温環境で作業されることもありますので、(データはありませんが)使用環境下で衝撃値の減少が始まっている鋼も多いと考えられます。
とくに、寒い朝や寒冷地で使う工具などは、その影響を受けて折れやすくなっているということを考えて、 常温以下では工具は「もろくなっている・・・」 という意識だけは持っておくのがいいと思います。
これに関係している例としては、冷凍庫の中で作業する包丁が折れたという例や、鍛造型などを朝一番に使用するときに割れたという例などがあります。
鍛造型など、特に大きな力が加わる熱間・温間用金型などは、低温における特性低下によって、特に、冬季の寒冷時や早朝の仕事始めに金型の割れが発生することがあります。
これに対しては、金型を予熱をしてから使用するという対策がとられるのですが、少し金型の温度を上げるだけでも、工具の持つ衝撃値が回復しますので、 温では何もなかったものが、低温になれば、折れたり破壊しやすくなるもの・・・ということを頭に入れておくのは大切なことでしょう。
この低温脆性に対する対策は厄介ですが、品物の断面を大きくして、余裕を持った形状にすることなども併せて考えないといけません。
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