不完全焼入れ

「不完全焼入れ」という熱処理用語があります。イメージ的には、品物全体がマルテンサイトにならない不十分な冷却をされた例・・・というように思える言葉ですが、しかしこの言葉はあいまいで、(説明も難しいのですが)熱処理用語的には、「鋼を焼き入れたとき、表面と内部の組織や硬さに差があり、それが標準的なものと異なっている場合を『不完全焼入れ』と言っています。

この言葉から、これは『良くない焼入れ』という印象を受けますが、実際の品物では、正常に焼入れしても、表面と内部の硬さや組織が異なることは特殊なことではありませんので、この用語の使い方には注意する必要があるように思います。

焼入れによる硬化は、品物の大きさによるのはもちろん、成分的な影響があり、冷却を部分的にみると、各部での冷却速度は一定ではありません。

このために、品物全体が完全に同一のマルテンサイト状態になるように焼入れするのも困難で、 ①未変態のオーステナイト(残留オーステナイト)が残る状態になっていたり、②パーライトなどと呼ばれる、フェライト(Fe)とセメンタイト(Fe3C :「3」は小さい3  炭素1つと鉄原子3つの化合物の意味)の混合組織が生じたり、③それらやマルテンサイトの中間のようなベイナイトと言われるような組織などが混在するものであったりします。
これらも、総括して「不完全焼入れ」と言われます。

顕微鏡組織や硬さ測定によって冷却の不均一さの不完全焼入れ部分の発生原因や発生経過を推定できる場合が多いのですが、これは、鋼種の焼入れ性や品物が大きさが関係することですし、各部位の冷却速度や加熱条件なども均一にはならないので、品物の各部位でいろいろな組織が出現したり、それらが混在するのは通例のことと言えます。


【不完全焼入れは良くないのか?】 
過去からずっと、「不完全焼入れは、良くない」という言い方をされてきています。

例えば、構造用鋼などでは、均一性と強靭性を増す目的で、焼入れ後に500℃以上の高温で焼戻しをする場合が多くあり(これを調質といいますが)、この時、不完全焼入れの場合には、完全焼入れしたものよりも耐衝撃性が劣る・・・などの影響が出ると説明されてきました。

しかし、構造用鋼などでは、合金元素の量もあまり多くなく、品物の大きさが少し大きくなると、不完全焼入れにならないほうが不思議で、不完全焼入れになるのが当然でしょう。

これらは、全体的な強度などを考えて使用されるものなので、成分や形状からみて、完全焼入れができない場合には、設計的に成分などを考慮する方法もあるのですが、一方では、あえて冷却速度を遅くして、全体の組織を均一化して全体的な強度バランスを取ったほうがいい場合もあります。

この考え方によって、水焼入れが推奨されている鋼種を油焼入れするという方法をとる場合も出てきます。

その他にも、水焼入れが推奨される鋼種でも、曲りや応力バランスを考えて、あえて油焼入れ焼戻しをしたり、鋼種に指定された焼入れ方法をとらずに、焼ならし+焼戻しする(業界用語で「ノルテン」と言われます)という仕様もあります。

このように、理屈とは別に、実用的な面から、熱処理の仕様が決められて実施されている場合も多くありますので、「不完全焼入れは、良くない」という一義的にいう言い方はふさわしくないのかもしれません。


エムエス(Ms)点・エムエフ(Mf)点

焼入れ中に、マルテンサイトが生じ始める温度をMs(エムエス)点、マルテンサイト変態が完了する温度をHf(エムエフ)点と言います。

【エムエス点】 マルテンサイト変態は、温度の降下につれて進行するために、Ms点に達すれば、ゆっくり冷やしてもマルテンサイト変態が進行します。このことから、一般的には、焼入れ操作は、「焼入れ冷却中に、パーライトなどが析出しないように、Ms点までを速やかに冷却して、 それ以下の温度域では、品物全体を均一に冷却する・・・」というように操作する・・・と説明されます。

冷却過程でパーライトなどの柔らかい組織が析出すると、十分な硬さが得られません。また、Ms点以下では、急激な温度変化は、各部の温度差から、焼割れや変形の原因になる・・・という理由からこのように表現されるのでしょう。
特に大きな品物は、Ms点を意識する必要があります。

一般的には、鋼種の変態点は、鋼材の成分と焼入れ時の冷却速度に依存し、その生成量(マルテンサイトの割合)はMs点の温度以下の温度に依存します。

そしてこのMs(やMf)はすべての鋼種でデータが示されているわけではありません。しかし、熱処理では大切な数字で、Msについては(限定的ですが)計算によって求める方法もあります。

このMs点の計算については、鉄鋼協会の書籍「鋼の熱処理」によれば、Ms(K)=823-350C-40Mn-35V-20Cr-17Ni-10Cu-10Mo-10W+15Co+30Al 
という式が示されています。
Rowland&Lyleの式は
Ms(℃)=499-324×(C%)-32.4×(Mn%)-27×(Cr%)-16.2×(Ni%)
    -10.8×(Si%)-10.8×(Mo%)-10.8×(W%) ・・・

・・・など、その他の研究で、下表のように、いろいろな計算式があります。これらには、適用する成分範囲などの制限があって、どんな鋼種でも適用できるというものではありませんし、一般的には、高合金鋼は適用が無理なものも多いようです。
Ms計算式の例
これは、九州工大の1986年のレポートから引用しています。

試しに、数種の式をつかって現用鋼種のMs点の実測値と平均的に計算した値をくらべてみました。(単に、「簡単に適用できないということを示しているだけです)

( )内は数種類の式から計算した、平均(最大-最小)の数値で、-は適用範囲外であったことを示しています。
Msの計算例と実測値に例
計算結果を見ると、低合金のものは当たらずとも遠からず・・・ですが、高合金になると、その多くは条件範囲を外れてしまって適用できないという結果でした。

一般的には、C・Mn・Crなどが多くなるとMs点が下がり、特に炭素の影響が大きいといえます。計算式を見ると、CoだけがMs点を上げるように働いています。

このMs点に対して、マルテンサイト変態が完了する温度をMf点(エムエフテン)と言います。
もちろん、高合金鋼などでは、Mf点が常温以下になるものもあります。もちろん、完全にマルテンサイトに変態しないで、オーステナイトが残っていたり、 ベイナイトなど、他の組織に変化して変態が完了するものもあります。

これらMs・Mfを測定された鋼種は、あまり多くはありませんが、実験値が示された鋼種から類推して推定することで利用できるでしょう。

Ms・Mfについては、あまり深く理解されていない場合も多いのですが、複数鋼種の品物を混載して熱処理する場合などや、工具鋼の焼入れで、それを把握しているか否かによって、製品品質に影響が出るので熱処理業では理解しておくことが大切です。

焼入れ性

大きさと成分で変わる表面硬さ

焼入れした際の硬化の程度(最高硬さ)は、主に、鋼に含まれる炭素量(C%)で決まります。そして、焼の入りやすさや硬くなる深さは、その他の焼入れ性を高める合金元素によって向上します。

焼入れ性の良い鋼種とは、油冷したり、空気などの気体で冷却(空気で冷やす場合は空冷)しても、充分に硬化させるものをいいますが、反対に、焼入れ性の良くない鋼種は、水などで急冷して硬化させる必要があります。

しかし、品物が大きいと、大きさにつれて焼入れ時の冷却速度が低下します。これを「質量効果」や「質量効果による硬さ低下」と言います。


品物が大きくなるにつれて硬さがでなくなる

たとえば、炭素量が約0.85%のごく小さな鋼の小片を水焼入れしますと、65HRC程度の表面硬さが出ます。しかし、これが15mm角ほどになると、均一に急速冷却されにくくなって、表面硬さもばらばらで、 表面の中央部では60HRC以下のところもでてきます。

そしてさらに30mm角程度になると、コーナー部では60HRCを超えるところもありますが、面の中央部分では40HRCというような低い硬さしか出なくなります。

これを質量効果による硬さ低下といいます。つまり、焼入れ時の冷却速度が硬さに関係して焼入れしたときの表面硬さが決まってきます。
それを改善するのは、「焼入れ性を高める合金元素」を添加した鋼種を使うということになります。


焼入れ性

焼入れによって硬化しやすいかどうかを表現する用語が「焼入れ性」です。
これは、鋼が、①焼入れによって高い硬さになるかどうか、②内部までその硬さが低下しにくいかどうか・・・という特性を言います。

ただ、焼入れ性試験(ジョミニ試験など)や断面硬さの傾向(Uカーブなどの硬さ推移)でそれを表現される場合もありますが、ほとんど具体的な数字がないので、この用語は、現在では概念的なものになってきているようです。

しばしばこの言葉の例では、次のように紹介されています。
「鋼は鉄(Fe)と炭素(C)の合金で、炭素量で焼入れしたときの最高硬さが決まリます。しかし、品物が大きくなるにつれて質量効果によって表面の硬さが低下します。

それを、そこに焼入れ性を高める合金元素が加えられた鋼種では、表面硬さの低下と、内部への硬さの低下が抑えられます。これを、合金添加による焼入れ性の向上といいます・・・。」

すなわち、「焼入れ性が良い鋼種」とは、焼入れ温度から、急冷しなくても、油冷や、空気中で放冷などのするなどのおそい冷却方法でも充分に硬化する鋼種で、逆に、焼入れ性が悪い鋼種は、小さな品物でも、 水で急冷しないと充分に硬化しなかったり、表面硬さにムラが出るような鋼種・・・という区別を表す程度の意味で捉える程度でいいでしょう。

【焼入性の試験方法】 焼入れ性を表すものでは、構造用鋼などではJISで、ジョミニ一端焼入れ性試験など、焼入れ端からの硬さ推移を測定するなどで視覚化されるものもあります。
ジョミニ試験のイメージ図 ジョミニ試験のイメージ図

この結果を示すグラフなどには、焼戻しをした時の硬さ推移が表示されているものもあり、これを利用して、内部硬さの推測などに利用できます。
ジョミニ試験例ジョミニ試験の例
ただ、この試験は、水冷による試験であるので、油冷用の鋼種には向かないことや、25mm径の試験片のために、焼入れ性の良い鋼種では全体が硬化するなどでの不都合もあります。

工具鋼など、非常に焼入れ性の高い鋼種の評価する方法には、日立金属(株)の「半冷試験」評価などがあります。
日立金属 半冷曲線の例半冷時間の例(日立金属)


熱処理コラム

高硬度鋼
ショアー硬さの最高値100は、炭素工具鋼の最高硬さを100としたということを聞いたことがあります。ショアーはショアー硬さ計で測定する硬さです。

硬さ計の違いによる硬さ比較をする場合には、換算表を用いるのが便利ですが、硬さ換算表にはこのような高い硬さの部分は掲載されていません。

それを推定するために硬さ数値を外挿すると、HSの100は、70HRC、1000HV程度の硬さに程度になるのですが、どうも、炭素鋼では、この硬さが出せそうにないぐらい高い硬さです。

昭和年代にはこのような硬さの出る市販鋼種には、フェロチックと呼ばれる硬い炭化物のTiC(炭化チタン)を鉄粉で固めた粉末鋼しかなかったと記憶していますが、しかし、近年では、新しい製鋼法で作られた粉末ハイスの一部や高硬さを売り物にした高合金鋼で、簡単に70HRCを超える鋼種が販売されています。

これらを焼入れしてロックウェル硬さ計で測ると、確かに72HRC程度の硬さが出ます。しかし、これらの鋼種は、非常に硬さの高い炭化物が多い鋼種ですので、その炭化物硬さを含めてロックウェル硬さ計で測ると、そのような高い値になっていると・・・ということです。

つまり、炭素鋼の最高硬さ65HRCはビッカース硬さに換算すると830HV程度ですが、この鋼中の炭化物は1500-3000HVなどのように非常に硬いので、それがロックウェル硬さに反映しているということです。

これによって摩耗試験での耐摩耗性は増します。しかし、「硬い」ということは「もろい」ということにもなります。
(ちなみにダイヤモンドの硬さは推定で8000-10000HVと言われています)

硬さを高くしすぎると、鋭利な刃物では、刃先が欠け落ちたり、炭化物がこぼれ落ちて初期摩耗が進むなどで、思ったほど寿命が伸びない場合もあって、「硬ければ寿命がよい」という考え方はあてはまりません。

このように、使う対象によって「硬さ=寿命」になりません。
つまり、鋼種ごとに適度な硬さがあるので、それを知って、うまく品物に生かさないと性能が発揮できないことになります。



↑このページの上へ

焼入れ関係の項目

***1ページ***
1. はじめに
 紛らわしい熱処理用語について

  ※コラム 業界の熱処理用語
2. 焼入れ
 焼入れ操作

 焼入れ
3. 熱処理と強さと硬さ
 ※コラム 焼入れでは機械的性質が変わる

***2ページ***
4. 炭素の量で焼入れ硬さが決まる
 マルテンサイト
 残留オーステナイトについて
 ※コラム マルテンサイトの話

***3ページ***
5. 不完全焼入れ
6. エムエス(Ms)点・エムエフ(Mf)点
7. 焼入れ性
 大きさと成分で変わる表面硬さ

 焼入れ性
 ※コラム 高硬度鋼

***4ページ***
8. 焼入れ性を増す合金元素
 合金が多いほど機械的性質が優れる?
 ※コラム レアメタル・レアアース
 質量効果と臨界直径
 最大有効直径
 有芯焼入れ

***5ページ***
9. 焼入れ温度
 熱処理用試験片
 変態温度と熱処理温度
 焼入れ保持時間
10. 焼入れ時の冷却

***6ページ***
11. 機械構造用鋼の熱処理
12. 調質
 調質で知っておくべき問題点
 焼いてみないとワカラナイ?
13. 焼ならし
14. 固溶化(溶体化)熱処理

***7ページ***
15. 工具鋼などの合金鋼の焼入れ
16. 硬さと炭素量が最重要
 市販鋼種の標準熱処理温度について
 鋼種を考える場合は・・・
 焼入れ硬さが出にくい鋼種の対応
 焼入れによる寸法変化(変寸)

***8ページ***
17. 標準熱処理ではない熱処理をすると・・・
 熱処理の可能性や未知の領域
 熱処理のシミュレーション

***9ページ***
18. 熱処理を説明する図表
 恒温変態曲線(S曲線)

 連続冷却変態曲線(CCT曲線)
 恒温熱処理の図について

↑このページの上へ


熱処理ページ目次

トップページ (INDEXのページ)
鉄と鋼の状態を理解しよう
焼入れについて(9ページ)
焼戻し(2ページ)
焼なましについて
熱処理設備
硬さおよび硬さ測定
工具材料を選ぶ場合に・・・
材料の「耐摩耗性」「じん性」とその試験方法
工具鋼の技術資料の見方
からだで感じる「熱処理温度」
火花試験をやってみよう
熱処理の不具合(変形・割れ)
表面熱処理
熱処理組織
硬さ換算表の例
その他

全体のサイトマップ